雑文集

遊動民の日記。東京→札幌→博多→岡山→東京(イマココ)

食卓の情景。

 

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池波正太郎の「食卓の情景」という食べものに関するエッセイ集を読みました。

 

週刊朝日に連載していたものを単行本化したやつで、小説の資料集めのために出向いた旅先での食事、劇作家をされていたときの仲間たちと呑む酒、幼い頃に親しまれた屋台の味なんかを情緒豊かに書かれていて、いやー良かった。美しかった。

 

氏が美食家だというのは知っていたので素材や調理法にこだわった高貴な食べものばかり出てくるかと思っていたら、そうではなかった。

旅先の寂れた食堂で出される老いた女将手製の穴子丼の味と雰囲気の調和に旅情を感じたり、料亭での会食では給仕をする女中さんの行き届いた心遣いを細かく書かれたりと、「食べるもの」そのものはもちろん、食環境、「食べること」を大事にされているように思える。

 

高いから良いとか、有名な店だから良いとかではない。いやはや、レビュー数や話題性ばかり気にする我々は大いに見習わねばならぬ。

 

で、時代柄か、氏は白米をよく食べる。そしてまた、その描写がべらぼうにうまそうなんですね。

 

ブラウン・ソースで牛肉と玉ねぎを炒めて熱々の飯にかけたもの。すき焼きの最後、煮えつまってこげつきかけた肉と野菜をご飯にかけたもの。カレー粉と小麦粉でつくるライスカレー。水炊きあとの濃厚なスープを、胡椒と塩で味を整え熱い飯にかけたもの…

 

これらが、そのときの時代背景や心情、同席者や給仕のにぎやかなようすを豊かに描いた中に現れると、氏の手許の茶碗を覗き込んでいるかのごとくありありと想像できる。

 

特にうまそうだと思ったのは下記ですね。

うずらの柔らかく煮たのを箸で崩して、うまいたれごとご飯にかけて食べる、そこに供されるシジミの出汁の効いた味噌汁はふきのとうが青く浮いていて、この汁のさっぱりした味が、うずら飯と実に似合う…」

 

いやいや、ちょっと抜き書いたくらいじゃその情緒はわからぬ、ましてやわたしの下手くそなスクラップではますますわからぬ、ご自分で読まれることをおすすめするが、もうとにかく、しみじみとうまそうなんですね。

 

 

*****

 

一方で、おれは自宅では白米を食べません。

一時期ライザップのごときパーソナルジムに通っていたことがあって、ばっきばきに糖質を抜いていた。いまは糖質制限はしていないけど、そのときから米を炊く習慣がなくなった。

 

だって、そもそも面倒なんだもん、米炊くの。

 

一人暮らしの小さいキッチンには炊飯器を置く場所がないし、米を研ぐのも小さいシンクでは難儀する。食べたいと思ってから研ぎ出すんでは、ありつくまでに1時間はかかる。

 

炊飯器は引越し早々、クローゼットの上に方に押し込んでしまった。

 

それでもたまにカレーやおじやみたいなものが食べたくなる。そんなときはどうするかというと、オートミールで代用するんですね。

 

これはもう大変楽で、鍋に水入れて、オートミールをざざっと入れて、好みの調味料を入れる。洋風のときはコンソメ、和風なら顆粒出汁と醤油とみりん、カレーなら固形ルウをそのまま入れる。キムチを入れてキムチ鍋のようにするときもある。

 

野菜は適当。大抵キャベツがあるのでそれの粗みじんと、もやしとか菜っ葉とか白菜とか。たんぱく質が摂りたいときは常備している水煮のツナか卵を入れる。うちは IH なので、鍋に材料を入れたら加温して放っておく。オートミールは煮えるのが早いので、調理開始から15分もあれば食事が完成する。

 

栄養的にも調理工程的にも大変合理的!と思っていたのだけど、池波氏の食卓の情景の、なんて豊かなこと、白米のうまそうなこと。

 

食事はあんまり効率化しすぎるもんじゃないなあと、煮立つオートミールを前に思う。

 

 

*****

 

巻末の解説に、「人生が凝縮されてある本である」という一文がある。誰の人生が凝縮されてあるのかといえば、もちろん著者の池波正太郎の人生である。

読み手は池波正太郎の人生を、食卓を通して垣間見る。そしてそれと対比して、自分の人生を、自分が経てきた食卓を通して考える。本書は自分を写す鏡でもある。

 

 

……。

 

解説がそんなようなことを言うので自分のことを考えていたら、余計なことをひとつ思い出してしまった。

 

 

 

 

小さい頃実家で食べたごはん物ですごく印象に残っているのがあって、それは父親の作った「おかか丼」。

 

わたしが小学生の頃だったろうか、当時うちは荒れていた。

家事を一切しない父親に母親がブチ切れて、家庭をボイコットした。母親は買い物も料理も洗濯も、何もしなくなった。そして仕事に打ち込んで、あんまり帰ってこなくなった。

いろんな事情が絡み合って、こうするしかなかったんだろうと思う。

 

父親は慣れない家事を突然やらなくちゃいけなくなった。いろいろと四苦八苦していたように記憶している。愚痴もたくさん聞かされたような気がする。

それでもとにかく小さいわたしと妹を生活させなきゃいけない。食べさせなきゃいけない。

そんな中苦心して作ってくれたのが「おかか丼」だった。

 

炊きたてぴかぴかのごはんを大きなどんぶりにこんもりと盛り、おかか、大葉の刻んだの、小口切りの白葱と刻み海苔をわさわさとのせて、お醤油かけて食べるという質素極まりないメニュー。

母親の作る彩り豊かな家庭料理とは全然違う、無骨な男料理。ほかに小鉢も汁物もない。量も多い。

 

でも、父親がすごく嬉しそうに、ほら、炊きたてだから!って出してくれて、これが不器用なお父さんなりの優しさなんだって子供心に思った。

一生懸命考えて、お父さんとしては最高においしい組み合わせを思いついたんだろうと思った。

すごくおいしいよありがとうって大袈裟に言いながら食べた。大袈裟に言おうと思ったのを覚えている。

多かったけど、頑張って全部食べた。

 

料理好きな母親がつくるごはんはいろんなバリエーションがあったし、もちろん母親の料理を食べる方が全然多かった。

 

それでもあのおかか丼は、父親のつらさと苛立ちと哀愁と諦めと、そんな状況でも消せない子供への優しさと、なんだかいろんなものが混ぜこぜになって盛り合わされていたようで、強く印象に残っている。

 

両親はその後離婚して、父親は行方が知れない。最後に会った10年前には、白米好きの父親は糖尿病を患って車椅子に座ってインスリンを打っていたから、今はどうなっているのかわからない。

 

死んだら保険会社から長女のわたしに連絡がくる手筈になっている。

その連絡はまだこないので、どこかで生きているんだとは思う。

父親との繋がりはこれしかない。

 

 

なんだか泣きたくなってきた。

なんの話をしているんですか?おれは。

 

 

 

解説が余計なことを言うから妙なことを思い出すんだ。

 

 

 

 

 

締めに向かいましょう。

 

 

 

自宅では狭いキッチンの簡素な IH でオートミールを煮込んではいますけど、友人や仲間と囲む食卓を、楽しく明るい情景を、たくさんたくさん経験していきたいですね。

 

 

 

 

 

 

蛇足ではありますが、お父さんの愛情たっぷりのおかか丼を一生懸命食べていた、優しい優しい幼少期のおれの写真を載せておきますね。

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糖尿病には気をつけましょう。