雑文集

遊動民の日記。東京→札幌→博多→岡山→東京(イマココ)

【なりたい自分になってみた話】1年でスクールカースト最下層から上層にあがったことがある【中学生時代のこと】

 

今日はわたしがなりたい自分になろうとしてなってみたときの話をします。

 

具体的には中学1年のスクールカースト最下層の半不登校状態から、どのカーストの子とも気兼ねなく仲良くできるようになった、という流れ。

 

わたしが目指した自分像はただ「明るく誰でもしゃべれる自分」。

 

そして実際に明るい自分になれたという経験は、とても大きい成功体験になっています。

脳内整理も兼ねて、ここにまとめます。

 

 

中学1年、入学当初で孤立。

中学に入学したての頃。

新しい人間関係が始まるときに、グループ作るのってめちゃくちゃ大事じゃないですか。

その後の学校生活を大きく左右するやないですか。

わたしはまずそこでミスった。

どんどん声かけて友達作ればいいのに、しなかったんだよね。

 

周りはみんなグループ作って、おいていかれた。

 

当時150cm前後で体重65kgというデブの自分に自信がなかったのもあるし、入学をきっかけに買ってもらったガラケーでネットの世界にハマり出してたので、学校生活に100%力を注いでいなかったのもある。

 

ひとりでいるデブってなんか惨めで、周りに声がかけられなくなってきた。

 

入学後しばらくして部活に入らなくちゃいけなくなって、吹奏楽部を選んだ。

部員数が多かったから友達できるかなと思ったんだけど、まず希望の楽器が選べなかったのと、練習が多すぎてついていけなかった。

やる気のなさから休みの日の練習に寝坊して、遅れていったところを部員全員の前で顧問に怒鳴られたことがある。

 

これはかなり効いた。

 

惨めで惨めで、自分がますます嫌いになって、結局幽霊部員に。

 

でも幽霊も幽霊でつらかった。

部員が多かったから校内ですれ違うし、音楽の授業は顧問担当だし。

 

肩身が狭くて仕方なかった。

 

クラスでも暗い雰囲気のわたしに話しかけてくれる人なんかいなくて、暗いデブって最悪って自分でも自分が嫌で人と話せなくなって、スクールカースト最下層みたいな、ちょっとずれた子達といるようになった。

 

でもその子達とも話は全然合わなかった。

 

エロやグロの話しかしないオタク女子、糖質入ってるか入ってないかギリくらいのメルヘンな子、中二病全開の子。

わたしのいるところはここじゃなさそうだなあとは思っていたけど、他に付き合う人もいないしだらだらその子たちと過ごしていた。

 

自分を変えようと思ったきっかけ

で。秋頃体育祭があったわけです。

クラス内空気のわたしからするとまじ地獄。

デブだから体育着で人前に立つのも嫌。

盛り上がっている周りに自分の存在で水を差すのも嫌。

 

なにより、体育祭当日は吹奏楽部が演奏するショー的な時間があったわけですよ。

 

見たくない。

聞きたくない。

 

吹奏楽部のことを思うと心臓がドキドキする。

 

耐え切れないと判断したわたしは体育祭当日無断欠席するという暴挙に出ました。

通常授業はたまの仮病以外ほとんど行っていたのに、まさかの体育祭サボり。

 

そしたら休日で家にいた母親にめっちゃ怒られた。

掃除機振り回して怒鳴られたの今でも覚えてる。

感情を言葉にできなくて、号泣するしかなかった。

だって何もいえない。

学校で惨めな思いしてるとか、自分がデブで嫌いとか、友達と呼べる人なんかひとりもいないとか、そんなの惨めすぎて言えなかった。

言葉にできなかった。

 

まあ結局頑として行かずに部屋に引きこもってサボり通したわけですが。

 

でもよく考えてみたら中学って3年間あるやん。

あと2回も体育祭あるやん。

体育祭以外にもイベントあるやん。

 

そのたびにこうやってサボるの?

お母さんと喧嘩するの?

ずっと惨めなまま過ごすの?

 

って思ったら、いやー、ちょっと変えないとダメだわ。と思って。

 

ここから自分を変える努力を始めます。

 

自分を変え始める。

まず最初に諸悪の根源部活を変えました。

退部届け出すのめちゃくちゃ勇気要った!

次にちょっとは話せてた子達のいる部活に入部。卓球部でした。

部活内容なんかなんでもよくて、とにかくつるむ仲間が欲しかった。

でも卓球部に入ることで運動習慣ができた。これは大きかった。

 

で、あとは自分の嫌いなところをひとつずつ直していった。

 

①言葉遣いがきたない→丁寧な言葉に変える

例えば、、うまいまずい→おいしいおいしくない、一人称おれ、うち→わたし、

ずるい→うらやましい、その他マイナスなこと、悪口を言わないようにした。

 

②上を向いて歩く

物理的な話です。毎日下向いて歩いてんなー、暗く見えてるかなーと思って直した。

直し方は簡単で、今いるとこの2本先の電柱のてっぺん見て歩く。それだけ。

 

③人の目を見て話す、話すときは話に相手のプラスの話題を盛り込む

最初は難しかった。話せないのに目を見ることを意識してるから黙って目を見つめる格好になってしまったり。

でも慣れたらできるようになってきた。何事も慣れ。

 

話題に困ったら、相手のいいと思うところや相手が喜びそうなことを言う。

アゴム可愛いねとか、リップあのシリーズの期間限定の買ったんだねとか、字がきれいだねとか、次の選択授業あなたと教室違うからさみしいとか、本当になんでもいい。

とにかく相手にとってプラスの話題。

これをするために人の持ち物や特長をよく見るようになったし、いまでも人間関係構築のために使うコミュ術です。

誰にでも使える。

 

④誘われたら断らない

人と話せるようになってから遊びに誘われることが出てきたんだけど、そのときは断らなかった。

苦手な人でも、自分となにして遊びたいんだろうと思うようなギャルグループの子でも、声がかかったら経験だと思って出かけた。

プリクラ撮ってマック行ってゲーセンで遊んで買い物して、興味ないこともつまんないことも無理に楽しいふうにして過ごした。

学校内と学校外での関わり方ってちょっと変えないといけないっぽいと思ったのはこの経験を通じて。

あと私服の大切さ難しさを痛感、、

 

以上主に4つ。気づいたら、2年に上がる頃には人と話せるようになっていて、卓球部のおかげで15kgくらい痩せてた。

相手主体の話題を心掛けてたからなのか、話しやすいキャラとして定着していろんなカースト層の子と話すようになった。

特別仲良いわけでなくともだれでも気軽に話しかけてくれるようになってめちゃくちゃ嬉しかった。スーパーハッピー。

 

とまあ、これがわたしにとっては大きな成功体験。

ただ、悪く言うと思いっきり他己評価軸に合わせて自分を歪めた経験でもある。

 

とにかくわたしにとっては大きな経験になってます。

 

なんにせよ言えるのは、自分は変えようと思ったら変えられるよ、ってことです。

 

わたしは今また分岐点にいるように思います。

変化を恐れず、自分がこうと決めた道を進むのみ!

 

以上!