脳の忙しさを、言語化する。
ここんところ、脳がひどく忙しい。
身体的忙しさは変わってなくて、相変わらず8時間と、たまに2.3時間の残業。
脳だけが、ひたすらに忙しい。
どう忙しいのかと言うと、脳が毎日起きるたくさんの出来事を手当たり次第考える材料にしてしまっているらしくて、その処理が忙しい。
言語化に成功したので、書きます。
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例をひとつ。
職場で。
状況としては、職場は厨房です。
登場人物は、わたし含め、いわゆる給食のおばちゃんです。
メト(筆者)→20代正社員管理栄養士
Aさん→60代パートのおばちゃん
Bさん→60代パートのおばちゃん
Aさんがわたしに、AさんとBさんのやりとりについて話してきたとする。
Aさん「この間、あの業務をBさんとしていたんだけど、そのとき、Bさんったらこうやって仕事したのよ!私はこうしたかったのに」
メト(筆者)「ふむふむ」
Aさん「私はこうこうこうした方が仕事が早いと思うの、でもBさんに言ったら、これこれこうの方が後が楽っていうの」
メト(筆者)「ああ〜なるほど。まあ人それぞれにやり方があるから、大変ですねえ」←会話を閉じる方向に引っ張る
まあね〜とかそうなのよ〜みたいなAさんの生返事を以って、会話は無事閉じる。終了。
この短い、ありふれたやりとりからわたしの脳が考える材料として拾うのは、
①Aさんとわたしの関係性
(どうしてわたしにその話をしたか)
②Bさんとわたしの関係性について、Aさんはどう思ってる?
(わたしとBさんが仲良くないように見えるからわたしにBさんの愚痴を言ってきた?)
③AさんとBさんはなぜそんなやりとりになったか?
(どうして今更その業務のやり方について齟齬が起きる?)
④AさんとBさんの関係性
(いつも仲良いっけ?シフトはどの程度かぶってる?)
⑤AさんとBさんは上下関係を気にする人か?だとしたらなにで判断するんだ?
(年齢か?勤務歴か?性格の強さがそのまま反映されているか?)
⑥AさんとBさんが根底に上下関係をすえてやりとりしてるならどちらが上か?
⑦Aさんとはどういう人物か?
(経歴は?性格は?家族構成は?考え方に偏りがあるか?あるとしたらどんな偏りか?過去わたしとどんなやりとりをした?etc.)
⑧Bさんとはどういう人物か?(かっこ内同上)
⑨問題になった業務はいままでどうやっていた?
⑩AさんとBさんどちらがその業務に携わることが多いのか?
⑪その業務は本当に必要あるのか?本来の目的は何か?
⑫目的に見合わないやり方ややりづらいシフトの当て方が恒常化していないか?
だから混乱が生じるのではないか?
⑬シフトを立てている人間はこの業務の本来の目的を理解しているか?
⑭シフトを立てている人間はこの業務にあたる人に、この業務をどう説明しているか?
⑮シフトを立てている人間とAさんの関係性
⑯シフトを立てている人間とBさんの関係性
⑰シフトを立てている人間はどういう人物か?
⑱この問題は業務的問題か?感情論的な問題ではないか?
⑲業務的問題だとしたらシフトを立てている人間に報告する必要があるか?
⑳シフトを立てている人間とわたしの関係性
㉑わたしの思う、わたしの立場
㉒他人の思う、わたしの立場
……
いまぱっと思いつくだけでもこのくらいの考える材料を拾ってしまう。
ラリーとしては2.3回程度の短い会話ですら、こうなる。
そして、考え始める。わたしの考えた仮説が、正しいのか、正しくないのか、判断するのに情報が足りないとしたら、どんな情報が必要か。
しかも会話を終えて時間が経てば、抽出できる別の材料を思いついたりもするし、考えがまた考えを起こして、ますます考えは分岐していく。
ただ、会話してる最中においては、Aさんの口からわたしに伝えられた情報だけではAさんが悪いともBさんが悪いとも判断できない。
考えるには、情報が少なすぎる。
だからわたしは、あくまで中立の立場をとったまま、わたしに話をしてきたAさんの気持ちに添う姿勢だけを見せて、会話を閉じる。
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わたしは毎日いろんな人と話すし、いろんな人のやりとりを見聞きしながら、こんなふうに恐ろしい量の考える材料を拾っている。
もちろん、会話の内容だけじゃなくて、会話中の身振り手振り、目線、表情も考える材料として拾ってしまう。(どうしてあのとき笑った?あの動作をした?目線を外した?etc.)
そしてまた、考えて考えて考えてしまう。
だから、すごく忙しい。疲れる。
言語化は以上。
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言語化ができたら、次のステップに進もう。
さて。
わたしのこの記事にはひとつ間違った記述がある。
冒頭。
脳が毎日起きるたくさんの出来事を手当たり次第考える材料にしてしまっている、という部分。
わたしは人間同士で起きるたくさんの会話ややりとりを考える材料にしてしまっているのであって、たくさんの事象すべてから拾っているわけではないんだよね。
つまりなにが言いたいか。
わたしの脳は、人間関係特化で考える脳だということ。
逆にほかのことは考えてないわけだ。
わたしと同じ場所で同じことをしていても、ほかのことをめちゃくちゃ考えてしまう人がいると思う。
たとえば、調理中に食材同士で起こる化学反応を考える材料として拾ってしまったり、シンクのサビを見てそのサビを綺麗に落とす方法を化学的に考えてしまう人。
この人は、化学特化の脳の人。
スプーンを落としたとき、スプーンの落ちる速度を考えてしまう人。
この人は、物理特化の脳の人。
給食の運営、食材費を抑える方法、労務管理から考える材料を拾う人。
この人は、お金特化の脳の人。
で、だ。
もう一歩突っ込む。
どうしてわたしの脳が、数多ある特化の道から、人間関係特化を選んだのか。
どうしてそんなに考える材料を拾うのか。
拾って、考える目的はなんなのか。
これは仮説でしかないんだけどさ。
わたし、小さい頃から嫌われるのが怖かったんだよね。
自己肯定がうまくなくて、自分は人から嫌われる、受け入れられないって思い込んでたりしてさ。
だから、他人の言動の原理や関係性について考えてしまうのは、人に嫌われないため、良好な人間関係を築くためなのかなと思う。
きっとわたしの脳は、昔からずっと、こうやって考えてきてるんだと思う。
で、それが今になって言語化されたせいで、忙しいと認識してしまった、と。
でも、考えてきたおかげで今のわたしは人間関係の中でうまく振る舞える。
上手い人を真似をして、人に好かれる会話の仕方、手振り身振りや表情、声色を覚えた。
揉め事に巻き込まれても、考えすぎてその場で判断ができないから中立の立場をとる。傍目には誰にでも平等に接する平和主義者に見えるらしい。
そしてこれらの対人、対集団における振る舞いは、もう自分のものになっている。
だって、自分が思うように振舞って明らかに嫌われるってこと、もう全然ないもん。
……
………
…………ん?
「自分のものになっている」?
ということは。
自然にできる、
つまり、「パターン入った」ということか。
ということは。
もう考えなくていいのでは、
つまり、思考から切り離していいのでは。
ということは。
切り離した分、脳のリソースがあくのでは。
ということは。
また別の何かに特化する脳を構築することができる…?
ああ。「今のわたしは、次の脳の構築に進むことができる」ということを言語化できたことに、理解できたことに、恐ろしい、本当に恐ろしい興奮を覚えながら、この記事を終わりにします。
次に特化したい分野は…