人間はただの、要素の集合体
今日はいつも思ってることを言語化してみる。
人間は要素の集合体でしかないのでは、ということ。
言語、文化、家庭環境、学歴、専攻、好み、経験、身体的特徴(遺伝子)、すべてただの要素であって、人間というのは「人間という空の容器になんの要素を詰め込んだか」だけで個体差が決まっているんじゃないかって思うんだよ。
もちろん、要素のパターン数は数え切れないと思うし、組み合わせは無限にあると思う。
でも、結局元をたどると、たくさんの要素を詰め込んだただの容器だよね、って思
ったりする。
例えばわたしは日本生まれ、母国語は日本語、日本の文化、東京生まれ、東京育ち、母親は三重出身、父親は福井出身、2人姉妹の長女、小中学校は目黒区、高校は世田谷、、とかさ、もう経歴だけで無限に続くんだけど、全部ただの要素。
目が二重とか、声が通るとか、管理栄養士の資格をもってるとか、明るいとか愛想がいいとか優しいとか、褒められたりするところも、逆に良くないところも、全部、ぜーんぶただの要素。
集中力がなくてだめだとか、乱暴だから怖いとか、英語が話せるから羨ましいとか、要素に感情を絡める人もいるけど、要素は要素。ただの要素。
大嫌いなあの人も、あなたの憧れのあの人も、ただの要素の集合体です。
どちらも理解できないくらい自分と違うように見えるかもしれないけど、よく観察して分解してしまえば、すべて要素に分解できる。
つまり何が言いたいか。
欲しい要素は、手に入れればいいだけなんじゃないかってこと。
そして、持っていたくない要素は捨ててしまえばいいんじゃないかってこと。
感情で自分を惑わせてる暇があるなら、欲しい要素、いらない要素を精査してそれぞれ手に入れる/捨てる方向に向かえばいいんだと思う。
のではないかと思うのですよ。
どうですかね。
この考え方をしていると、芸能人著名人から身近にいるどうしようもない部下まで、みんなただの人間に見えます。
違うのは、現段階で詰めている要素だけ。
そう思うと、変に人を怖がる必要も、媚びる必要も、ばかにする必要もなくなって楽でになる。
大事なのはあくまで要素だからね。
ついでに。
わたしがいま欲しい要素は、「行動力」、「自信」、「観察力」、「よく回転する頭」、「考える力」、「国語力」、「言語力」、「集中力」、「客観的視点」。
捨てたいのは、「自己抑制力」、「保守的/守り」、「内向的」、「自尊心が低い」とか。ですかね。
という話でした。
ずっと、こういう話を延々できる友達が欲しくて仕方ない。
酒飲みながら聞かせてくれ、君の要素について。