岡山野菜記
最近、野菜をもらいます。
それも大量に。
大抵「うちの畑で採れたんじゃが食いきらんけえ気にせんで持っていけ」という文句付きで、スーパーで買えば結構な金額になるであろう量をけろっとくださる。
野菜ってタダじゃないんですよとこちらから言いたくなる。
東京や札幌にいるときは野菜食べたいけど高いな〜ってよく思っていた。
特にオーガニックとか、地域のものとか、そういうものこそ高くて手が出ない。
ところが岡山では、新鮮な露地物の野菜が突然大量にやってくる。困るくらい。
うーむ。ありがたい。
ここ直近では、まず近所の小料理屋のおかみさんからもらってしまった。昼飯にいって定食の小鉢の野菜をおいしいおいしいと食べていたら、今朝畑で採れたのが余っているからと、こんなに。
トマト、とうもろこし、ピーマン、ゴーヤ、きゅうり。
もらうなんてとんでもない、買いますと言うと、お金をもらうくらいなら捨てると言う。ありがたく頂戴した。
とうもろこしは茹でて(甘くておいしかった)、ピーマンは炒め物に、ゴーヤはお浸しとチャンプルー、きゅうりは漬けものにして、トマトは煮込んでソースにした。
トマトソースは後日ドリアに使用。
大変おいしゅうございました。
それから今度は、大量のおばけきゅうりがやってきた。
これは同居人が職場の上司からもらったらしい。
量がすごい。野菜ってタダじゃないんですよ?
右にある3本の濃い緑をしたきゅうりはスーパーで買ってきたもの。
比較すれば、確かにきゅうりのおばけだわ。
そもそも、おばけきゅうりって言葉自体最近知った。
育ちすぎたきゅうりのことを言うらしい。
スーパーに並ぶ背筋の伸びたきゅうりしか知らず、ぐるんと丸まるように曲がってしまったきゅうりですら珍しいと思ってしまうわたしは、きゅうりが育ちすぎるということ、ましてや育ちすぎるとおばけになるということは想像すらしたことなかった。
以前、魚は切り身の状態で海を泳いでいると思っていた子供がいるというエピソードを聞いて笑ったことがあるけど、わたしにその子供を笑う権利はなかったね。すんません。
さて。ともかく大量のきゅうりをどうにかせねばなるまい。
まな板にのせたときの迫力たるや。
入刀。
きゅうりがウリ科であることは知識として持ってはいたけど、切ってみて、あーほんとうにウリだ!と初めて実感した。
種がしっかりしていて、身がつまってる。
大きめの乱切りにしたら冬瓜みたいに煮物にしてもいいんじゃないかと思った。青臭くてだめっすかね。
皮をむいて土佐煮なら?
中華風に炒めるのも悪くないのでは?どう?
とりあえず漬物にしようと思ってスライス。ところがあっという間にボウルが満杯になってしまった。
表面に塩したところで漬からんやん。
結局佃煮にすることにした。
少量の醤油とみりんと酢で水分がなくなるまで煮て、最後にごま油をちょっと垂らす。
よく冷やしたのを炊きたてのごはんと食べると最高になれるやつですね。
残りの細いものは大葉の千切りと一緒に塩漬けと、叩いて梅きゅうに(梅の色味が強くてなにかの臓物と和えたようだ)。
ということで、同居人の弁当、およびわたしの酒のアテは、しばらくきゅうりだな。
「身体は食べたものでできている」といいますが、わたしの身体は今、岡山の野菜と、それをくれた人たちの気持ちでできていますね。
感謝感謝。