雑文集

遊動民の日記。東京→札幌→博多→岡山→東京(イマココ)

多様性を認めると、多様性を認められない人を一方的に認めることになってつらい。

 

 

人参スティックをかじりながらこの文章を書いています。

最近のパソコンのおともはもっぱら人参スティックとマヨネーズ、

そしてブラックコーヒー。

 

切るだけ加熱なしで食べられる野菜や果物は食べるハードルを下げてくれる上にビタミンミネラル類も殺さずに摂取できるというチートアイテムだと最近気づいた。

レタス、人参、セロリ、りんご、バナナ、あたり、楽で最高。

体調管理的にも時短的観点からもくそくそいい。

 

 

さて。今日は多様性の話。

多様性、認めてますか。許してますか。

多様性を認めましょうとはよく言うけど、多様性ってなんでしょうか。

はい。wiki先生によるとこうです。

 

多様性(たようせい)とは、幅広く性質の異なる群が存在すること。

 

わたしは「いろんな考え、価値観、文化の人が存在する」という理解をしてる。

そして多様性を認めるとは、「いろんな考え、価値観、文化の人の存在を許すこと、存在を受け止めること」だと思ってる。

決して国籍や年齢だけの話じゃなくて、経験や興味関心、好み、性格、すべてに多様性があると思っていて、できる限り認めたい。

 

そして認められたい。

 

あなたはあなた、わたしはわたしでありたい。

 

認めるというのは、「同意する」ではなく、「理解するけど同意はしない」というスタンス。

例えば、わたしは挨拶は大きな声でするのがいいと思っているけど、声の大きさなんか気にせずぼそぼそと言う人もいる。

わたしは白米を避けるけど、白米が大好きという人もいる。

わたしは今の仕事がつまらないものに思えるけど、楽しんで働いてる人もいる。

 

人には人の価値観や考え方があって、それはその人の性格や過去の経験から培われたものだから、自分と違うものであっても否定せず共存の道を探す。

これが理解するけど同意しないということ、すなわち多様性を認めるということ、だと思ってる。

 

わたしは可能な限り多様性を認めたいと思っていて(だってわたしの多様性も認めて欲しいもの!)、自分と違う意見や考えを聞いてもふーんこの人はこう思うんだくらいにしか思ってない。

 

でもいるんだよね、多様性を認められない人。

他人の意見に食ってかかる人。行動にいちいち注文を付ける人。

自分の常識が全てなのか、自分と他人の境界線が理解できないのか、正義感が強いのか、よくわからないけどこの手の人は多い。

 

一方でこちらはこういう人の多様性も認めていきたいわけよ。

ああこの人はこういう価値観の人なのね、はいはい、と。

 

でもあちらはこちらを認めない。

こちらがあちらを認めるには、「こちらを認めないあちら」を内包したあちらを認めることになるわけで。

 

この構図はつらい。

こちらの価値観を否定する価値観を一方的に認め続けるしかない。

 

あちらがどんなに否定してきても受け止めては流し、この人はわたしと合わないのね、はいはいわかりました、仕方ない、とずっと思い続けるしかない。

 

例えば、異性愛者で同性愛者を否定する人はいるけど、同性愛者で異性愛者を否定する人っていないじゃない。

そう考えるとわかりやすいかな。

 

こちらを否定する考え方もあるよね、って認めるのは結構エネルギーいるし孤独なもんです。という話でした。

 

みんなはいろんな文化や趣味、考え方を面白がれるような余裕のある人間になろうな!